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のこと5

(続き)

アウトラインを出来てからは調子がよかった。
現実の事件を歯科医から産科に変更することで、より不快感を強調するなどアレンジしたりして。

で、書き終わった。

すっきりした表情で編集部に持っていきレイアウトに流してみると30ページにも満たなくて、青ざめた。

これはまずい。
書き終わるまで家に帰らないつもりでやらないとダメだ。
缶詰が出来るようにお願いして、ある部屋の一角を借りた。

そこはマンガ家さんたちがネームを作る部屋で不夜城であった。
おもしろいネームを作るために必死でがんばっている彼らから立ち上るヒリヒリとした空気に触れた。
そこで、自分の10数年前、最初に手がけたのテレビゲームである『アクアノートの休日』を作っていた頃のことを思い出した。
これをカタチにしないとアトサキがないという必死感。

はじめての小説なんだから、その気持ちでやらなきゃダメだと思った。
そして、あらためて書く作業に取り組んだ。

なぜページが足りていないのか、よくわかった。
やはり自分はゲームを作る感覚がまだ強過ぎるのだ。
ストーリー上のあるポイントからあるポイントまでの登場人物たちの行動や感情が飛躍し過ぎている。

この飛躍はゲームの構造である。
そこをプレイヤーが遊ぶことでストーリーが補完される。

いま取り組んでいるのは「小説」だから、自分がプレイヤーになりきって、そのプレイ感を登場人物に仮託して、丁寧に文字に置き換えていけばいいのかもしれない。
そういう風に考えると、ようやく小説へ取り付くことが出来たようだった。

物語の中で登場人物が体験する様々な事象。そこから生じる感情。他者との関係性の変化。これを観察しながら出来るだけ丁寧に書くようにした。

すると書けば書くだけ時間がかかる。あるいは時間だけ経っても原稿が進まない。
長い文章というものは一朝一夕では出来上がらない。地道にコツコツやらないとダメだ。
そうすると、今まで読んできたあらゆる小説に対する畏敬の念が生じた。
そして、原稿をチェックしてみると、今まで読んできたあらゆる小説の要素が無自覚に組み込まれていることに気づいた(パクったのではなくて)。

そして、小説を書く行為の中で、自分が「生きのばし」ていることを実感した。小説の中で別の人生を生きたのではなく、人生の枝葉が広がった感覚だ。
それはキャラクターへの自己の投影でもあるし、度を過ぎた感情移入である。

このあたりが「オナニー」臭い原因かもしれないが、そこまで距離を詰めていかないと、今の自分は書けない。小説に上手い、下手があるとしたらここらへんなのかもしれない。

自主的な缶詰は1ヶ月強に及び、肉体的にはチョーきつかったけれど、その間、自分は計らずも人生の修復、または軌道修正を行っていたようだ。小説を書く事で。

小説に限らずあらゆる創作というものはこうした作用があることを思い出した。
オレはうまいこと商売出来ちゃってたから、道を踏み外してしまったのかもしれないなー、とも思った。

小説を書く。それは楽しいものだった。

(あと少し続く)
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  by kazutoshi_iida | 2008-02-21 02:59 | 飯田和敏・記 | Comments(0)


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