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ゲーム作りとは不遜な行為

犬飼です。

15年前、阪神淡路大震災の起きた時間になりました。
震災で亡くなった方々のご冥福をおいのりします。

昨日
フジテレビでこの大震災の時の神戸新聞を題材にしたドラマが放送されていました。。
ドラマといっても登場人物にはすべて実在の人物がおり、その方々のインタビューが挟まる形で半ドキュメンタリーのような構成でした。

涙があふれでてきました。

僕が、この番組を見て誓いなおした事をここに書いておきます。

神戸新聞の方たちは、紙という媒体で新聞というメディアを作っている人達です。
この震災の中でもカメラマンとして記者として、やらなければいけない事をまっとうしていました。
自分も怪我をしているのに、家族も被災しているのに、市民の為に新聞で「情報」を届けるために死ぬ気で行動をしていました。

市民たちは、届けられたその「情報」から神戸新聞の人たちの「思い」を読み取り励まされていたそうです。


僕は15年間コンピューターゲームというジャンルに関わってきました。

コンピューターを使うゲームの最大の特徴は、「情報」だけでなく「思考」も同時にメディアに書き込めることです。
プレイヤーはプログラムを実行し、インタラクティブに戯れながら、この「情報」と「思考」を、「体験」のような形で受け取ることになります。

僕たちゲーム作家は、この時の神戸新聞の人たちのように、コンピューターゲームを使って励ますことをしなくてはいけません。

地震がおきてから夕刊が発行されるまでの時間は12時間程度だったそうです。

たとえそれがどんな短い時間であっても、コンピューターゲームで「情報」と「思考」を届け、それでいて励まされる「体験」の様なものを届けなくてはいけないと思います。

ゲームというジャンルはこういう血の通ったメディアとしての発展が望まれていると思います。

僕らはこのことを、心にとめていなくてはいけません。

そして、また

神戸新聞の社説にかかれた。新聞を書くと言うことは「不遜」な行為であるということ。これも同時に心にとめておかなくてはいけません。
どんなにメディアに「情報」や「思考」を詰めても、結局それは亡くなった方たちに変わるものではなく。一番大切なのは「身体」であり「思い」であるということを忘れてはいけません。

つまり、僕らはやはり「不遜」であることを知りながら、人々の為にゲームを作らなくてはいけないのだと思います。

今、NHKで三ノ宮の公園に集まり黙祷を捧げる様子を生中継していました。
人々は「絆」「復興」等、思い思いの言葉を燭台にした竹筒に書いていました。

人類の歴史において発展とは技術の進歩のことであり、言葉やコンピューターの発明も技術の進歩です。

発展を求める、人間とはなんと不遜なものなのでしょうか。

僕は「不遜」であることを知りつつ次のゲームを作るのです。
それしか僕に出来ることはないのです。
何かその他にできることがあれば、教えてください。
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  by kazutoshi_iida | 2010-01-17 06:10 | 犬飼博士・記 | Comments(0)


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