のこと2
(続き)
『アロハ嗚咽』という小冊子を作成し、これを「最新式テレビゲーム」として販売するなどして、自分の意識の中で次第にゲームと小説との間合いが縮まってはいた。
しかし同時に「おはなし」を語ることの困難さも感じていた。
自分が今まで行ってきたテレビゲームの「おはなし」作りは、これが発生する最低限の仕掛けだけを用意することで、つまり、作者と観客が無限の可能性を共有している。
このロマンにうっとりしてきた自分にとっては、「おはなし」をたったひとつに限定してしまうということに抵抗があった。
が、そんなことを思っていられたのは、まだ精神的な余裕があったからだ。
人生に挫けてしまいそうなトラブルに見舞われた時、オレは別の人生を生きなければやっていけない局面に立っていた。崖っぷちの端の端。
The ピーズの復活アルバムの1曲目「生きのばし」が、天啓のように刺さってきた。この曲を作った人と一緒に暮らすことが出来なくなった息子の名前が一致しているのだが、これはぐーぜんだ。
そして、ぐーぜんは侮れない。
その頃、ユリイカから「大竹伸朗論」の依頼があった。それが転機のひとつになった。
この原稿をやる中で重大な発見をした。芸術はオレが切望した時にだけ「既にそこあるもの」として現れるということだ。では、アーティストは誰だ?
「大竹伸朗論」を書き終えた。評論でもなく、エッセイでもなく、日記でもない。作文じゃない! おそらくこれは小説なんだろうと思った。
ようやく、テレビゲームと小説と「おはなし」をめぐるつまずきは霧散した。
そんなタイミングで知人の編集者が「コミックスのノベライズをやらないか?」と声をかけてくれた。
だから、ぐーぜんは侮れないのだ。
(続く)
『アロハ嗚咽』という小冊子を作成し、これを「最新式テレビゲーム」として販売するなどして、自分の意識の中で次第にゲームと小説との間合いが縮まってはいた。
しかし同時に「おはなし」を語ることの困難さも感じていた。
自分が今まで行ってきたテレビゲームの「おはなし」作りは、これが発生する最低限の仕掛けだけを用意することで、つまり、作者と観客が無限の可能性を共有している。
このロマンにうっとりしてきた自分にとっては、「おはなし」をたったひとつに限定してしまうということに抵抗があった。
が、そんなことを思っていられたのは、まだ精神的な余裕があったからだ。
人生に挫けてしまいそうなトラブルに見舞われた時、オレは別の人生を生きなければやっていけない局面に立っていた。崖っぷちの端の端。
The ピーズの復活アルバムの1曲目「生きのばし」が、天啓のように刺さってきた。この曲を作った人と一緒に暮らすことが出来なくなった息子の名前が一致しているのだが、これはぐーぜんだ。
そして、ぐーぜんは侮れない。
その頃、ユリイカから「大竹伸朗論」の依頼があった。それが転機のひとつになった。
この原稿をやる中で重大な発見をした。芸術はオレが切望した時にだけ「既にそこあるもの」として現れるということだ。では、アーティストは誰だ?
「大竹伸朗論」を書き終えた。評論でもなく、エッセイでもなく、日記でもない。作文じゃない! おそらくこれは小説なんだろうと思った。
ようやく、テレビゲームと小説と「おはなし」をめぐるつまずきは霧散した。
そんなタイミングで知人の編集者が「コミックスのノベライズをやらないか?」と声をかけてくれた。
だから、ぐーぜんは侮れないのだ。
(続く)
by kazutoshi_iida | 2008-02-05 23:26 | 飯田和敏・記 | Comments(0)